日本文化に酒文化が深くかかわっている事に異論はない。縄文時代(6000年前)から今にいたるまで米は日本人の食の中心をなしており、つまりは日本酒も日本人の生活に文化に深くかかわり、ほかの世界各地とは違う独特の文化を形成しているということになる。
「浪漫・亀の尾列島」で尾垣淳治氏は次のように述べている。
日本酒の醸造方法は「併行複醗酵」と呼ばれるものであります。澱粉の糖化には麹菌の糖化酵素を用いて行い、生じたブドウ糖や少糖類からタンクに共存させた「清酒酵母」によりアルコール、その他の日本酒の「味」を構成するいくつかの成分が醗酵過程で生成されてくる訳です。つまり、澱粉の糖化と糖のアルコールへの変換と云う二つの反応が同時進行して酒(アルコール)が作り出される事が「複醗酵」と云われる由縁であり、ビールを醸造する場合の様に、別々の工程で醸造するのではなく、一つのタンク、一つの系で反応させる事が「併行」と云われる由縁となっています。この技法は、「単醗酵」のワインや「複醗酵」のビールと対比しても、極めて効率的なアルコールの製造方法であり、アルコールの濃度が最も高い製法と云われています。私たち日本人の祖先はそんなにお酒が好きだったんでしょうか。その驚異的に高度な技術は、すでに、東アジアにおいては数千年も以前から培われて来たもので、この気候を巧く利用した麹黴の活用法を大陸から導入して瑞穂の国「日本」で完成されたものです。悠久の歴史の中で日本人は高度な醸造技術を創り出し、社会生活の中で進歩発展させて来ましたし、はたまた日本人の遺伝子の中には、恐らく「米の酒」に対する親和性を示すいくつかの遺伝子情報さえ組み込まれていると言っても過言ではないと思います。
如何であろうか、製造方法からの酒文化についての考察を記載させていただいたが、尾垣淳治氏はさらに、人社会における「酒」の位置付けからはワイン(飲料水の代わり)と異なり主食穀類から造られる穀物酒「日本酒」は「酔い」や「酩酊」による「非日常」を容認し、それを神の世界との接触点と位置付ければ、それは取りも直さず、日本における「神事、神社での直会(なおらい)」となるとして「酒」にたいする理由づけがあるとし、「酒」と人との関わりからは日本語でいう「宴」を取り上げ、「集まり酒食」しかつ「楽しむ」ものとし、「酒と人と肴(つまり食)」が日本人社会における一つの「生活の基本単位」でありこの三要素のうちどの一つが欠けても、元来、日本における「宴」はなりたたないものとして「酒」を説明している。酒文化と食文化がお互いに相乗しあい今の日常生活に日本文化に大きく影響していること、また日本人として誇りに思える文化でもあるということは言うまでもない。